八ツ田和夫は夢を諦めたが、新しい夢を見つけました

八ツ田和夫がはじめて自分で料理を作ったのは、中学生の時でした。小学校や中学校の家庭科の授業で料理を作ることは何度かありましたが、始めから最後まで独りで料理を作ったのは中学に入ってからでした。彼の通う中学ではお弁当を持参することになっていましたが、彼の母は朝早くから夜遅くまで働いており、そのため満足にお弁当が作れず、コンビニで買って来た物をお弁当の代わりにすることが多かったのです。
その頃の彼は野球部に所属していて、毎日練習に励んでいました。しかし体の大きい同級生や先輩にパワーで負けていて、もっと体を大きく強くする必要があると考えたのです。今のままの食事では駄目だ、と彼は思います。コンビニの食事では栄養が偏っていて、今の自分に必要な栄養が取れないと考え、自ら料理を作ろうと決心しました。八ツ田和夫は体が小さかったが、どうしてもレギュラーになりたいと思っていたからです。
スポーツ選手用の食事レシピが載っている本を本屋で買い込んできて、自分の力だけで料理を作り始めました。細かい作業が苦手だったのですぐに投げ出したくなりましたが、忙しい母にも頼らず、自分の力だけで栄養を考えた料理を作れるようになりました。
栄養を考えた料理の成果もあって、八ツ田和夫の体は少しずつ大きくなっていきました。

八ツ田和夫は中学生時代から料理を始めていますが、その後も料理の腕を磨いていきました。高校、大学と野球を続け、その体作りのためにも、栄養バランスを考えた食事はとても大切だったのです。
そうやってスポーツでの体作りのために行って来た料理でしたが、大学生の後半に彼の考えに大きな変化が訪れます。八ツ田和夫は大学で名門野球部に入ったのですが、自分の実力に限界を感じていました。栄養を考えた食事をしていても体の大きさには限界があり、また周りには甲子園で活躍した実力のある選手がゴロゴロいたのです。このままでは自分は埋もれてしまうと考えました。
そんな時に、スポーツ栄養士という職業を知ります。その頃の彼は料理への関心が強くなっていて、栄養士という職業に少し魅力を感じていました。これなら自分が選手として活躍出来なくても、スポーツに携わっていけるのではないか。自分と同じように体格が原因で伸び悩んでいる人を、栄養士という形で助けてあげられるのではないか。そう考えました。
それから彼は思い切って野球部を退部し、大学も辞め、栄養士の過程がある専門学校に入学しました。特にスポーツ選手に必要な栄養素について学び、卒業後はスポーツ栄養士になれるように日々勉強に励んでいます。八ツ田和夫の中学からの夢であるプロ野球選手という夢は叶いませんでしたが、彼は今、別の形で自分の夢を叶えようと必死に頑張っています。

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